
浅草寺は942年、平公雅(たいらのきんまさ)という人が、創建しました。
当初は実は今より少しだけ離れたところに建立されていました。
それが鎌倉期以降にいまの場所に移されるようになったのです。
そして、浅草といえばこの雷門を思い出す人が多いのではないでしょうか。
雷門は正しくは「風雷神門」(ふうらいじんもん)と呼びます。
門に向かって、右側に風神、左側に雷神が配され、観光に来る人々を圧倒しています。
この朱塗りの山門である門の中央には、なんと重さ約700Kgの提灯が吊りさげられています。
とくに外国からの訪問者は大きな感嘆の声をあげています。

ここでは昔から人々の願いをかなえる場所として栄えてきました。
とくに当時の有名な武士の願いが叶ったことから
伽藍などの寄進を積極的に行い、初代の雷門に相当する門は、その際に造られたとされています。
風雷神門を人々はいつしか雷門と呼ぶようになりました。
さらに当時の画家たちは、よく浮世絵の題材に用いられたことから
その知名度が高くなり各地へ浸透していったのです。
その後、雷門は戦争や火事により何度か焼失し、そのたびに新たに作られてきました。
最近では1960年、松下電器産業(現パナソニック)の創設者、松下幸之助が病気だったころに浅草寺に拝んだ後
病気が治ったお礼として門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立しました。
今でも提灯には松下幸之助さんの名前が彫られています。

提灯の下側にも素晴らしいレリーフが描かれています

ところでこの雷門に構える二体の神々風神、雷神は表の門では恐ろしいばかりの形相をしているのですが
裏の門では不思議なことに穏やかな男神と女神の姿となっています。
これはまるで浅草寺に訪れる人々を来るときは迫力をもって向かえ
帰るときは慈悲慈愛をもって見送っているようであります。


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昔は雷門をくぐったところを「南谷」(みなみだに)とよんでいました。
参道の両側には合わせて十二の支院が祀られ
天照大神宮、秋葉権現、妙見さま、金比羅さま、出世大黒天、鹿島明神、石尊大権現・・・などの
たくさんの社を祀っていたようです。
それらの浅草に祀る神々はなんと百数十に上っていたそうです。
これにより「流行神」(はやりがみ)のご利益を求めて
その頃から今のようにご利益を求めてたくさんの人々が訪れていたそうです。
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余談ですが、雷門が何度か焼失された歴史の中で
以下のような「落噺」(おとしばなし)が昔の人々に中で流行りました。
雷門の炎上について
両像を安全な場所に運んだものの、
雷神像だけが横倒しになったまま
動かそうとしても動かない。
人夫たちが困っているところに
一人の老婆が来てスンナリと起こした。
「えらい力持ちのばあさんだ。どこの人だ」
と聞くと、見ていた人が「あれは雷おこしの婆さんだ」と。
このように落ちのある洒落を当時の人たちも楽しんでいたようです。
